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AFTERMOD E-PRESS 64号

【巻頭】『数と人』

 日本では政経がメインになっているためか、経済論をやっていると言うのと、資本について考えているというのでは印象が異なるようです。マルクスの話しをするといきなり社会主義者扱いされたりします。要するに学校で経済を教える人は多いですが、資本主義については教えている人が少なく中身も見ずにレッテル越しに判断されがちです。元々、余ったもの(余剰)を上手く互いのニーズに合わせて交換するのに便利なシステムとしてお金ができたはずだったのに、今では使い道がなくてもお金があることが良いことになっています。数字合わせでなんとなく分かった気にされがちですが、どこまでいっても元々物を交換するための道具だったというところから離れてはいけないように感じます。お金は輪転機で印刷するだけですが、食べ物や工業製品にはそれらを作るプロセスに色々な人が介在していることを忘れてはいけません。数値はその辺りをカットして提示するわけですね。今回のE-PRESSはやや硬派な内容になっておりますが、みなさんの社会に対する接し方の一助になれば幸いです。
(笠原正嗣)

INDEX
vol.0064号(2013年09月01日号)

00【巻頭】『数と人』
01【連載】矢萩邦彦『社会学曼陀羅11:詩と批評について』
02【特集】佐藤慧『経済と友愛 ~ある猟師の物語~』
03【特集】笠原正嗣『民主主義と効率』
04【鼎談】松岡正剛×日玉浩史×矢萩邦彦『震災と日本のフラジリティ14』
05【告知】安田菜津紀 10月3日~写真展『それでも海で-陸前高田 潮騒と共に』
06【告知】オリンパストップページに「それでも海で -陸前高田 潮騒と共に-」掲載!! 
07【告知】矢萩邦彦『Yahoo!ニュース』にて続々記事寄稿!
08【後記】『抗う理性』

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01【連載】矢萩邦彦『社会学曼陀羅11:詩と批評について』

 僕には沢山の心の師が在りますが、小林秀雄と吉本隆明にはとりわけ大きな影響を受けました。お二方共に数々の肩書きを持つ文化人でしたが、世間では評論家として紹介されることが多いという共通点があります。僕の中では、吉本隆明は詩人、小林秀雄は批評家なのですが。

 評論というのは、批評のことです。「批評」というのはどうも「批判」と混同されがちです。自分は表現者ではないくせに偉そうに人の作品にケチをつけている、みたいなイメージを纏ってしまっているんですね。実際はギリシャ語で対象の価値についての洞察ある判断という語源です。もっとも、哲学の文脈では『純粋理性批判』を代表とする批判論により、批判的に見ることこそ批評であるという考え方もあるのですが、カントが言っているのは人間の認識能力を疑ってかかるべきだということで、対象も自分も同時に批判的に見るという意味だと思うのですが。

 「批評」は他人の創造物について、第三者目線から説明をしたものを指します。本人の説明だと主観的になりすぎますし、本人だけが知っている情報の影響を無意識に受けてしまいます。そこで作者以外の視点の代表として、批評家や評論家が感想や考えを述べることで、作者も客観的な意見を聞くことが出来、次なる作品に活かせるというわけです。ただ、気をつけなくてはいけないのは、評論家・批評家の意見は、作者にとっては客観的ですが、所詮評論家の主観であるということです。ですから、評論家はできる限り多くの人の意見と一致するように、論理的に書かなければいけないんですね。

 近代において社会的に力をふるった批評は、インターネットがインフラとなった現代ではその在り方が変わってきているといえます。そもそも一般のユーザーは作者に対して自由に意見や感想を伝える方法がありませんでしたし、あったところでそれを論理的に伝えるには相応の知識や技術が必要でした。ですからプロとしての批評家の存在に意味があったわけです。しかし、今は「1億総批評家状態」などと揶揄されるように、論理的であるかどうかはさておき、誰もが社会に対して意見を発信できるようになりました。支離滅裂な意見もありますし、他人の意見をコピペしているだけのものもあるが故の皮肉な表現ですが、それが出来る現代はようやく「客観」というものの本質に少しだけ近づけているのではないかとも感じます。

 僕はロックを愛していますし、詩や言葉に託す人間ですが、それは少なからず社会に対する批評的な精神が起点になっています。詩人がなぜ詩を書いたのか? いや書かざるを得なかったのか。それはロックが反体制的な思想から生じたことと関連があります。社会に対して違和感があるから、またそういう思想が社会に呑み込まれていたり、マイノリティーになってしまっているから、叫ばざるを得ないんですね。心の叫びを外に向けて表現することで、同じように叫びたい人達と共感し合うことが出来ますし、寂しさを希望に変えることも出来ると思うのです。

 自然を含め創作物の集大成としての社会に対して、それぞれが何を感じてどうアプローチしていくのか。インターネットが真に普及した先に、詩と批評の次の世紀がやってくるのではないかと感じます。

(矢萩邦彦)

02【特集】佐藤慧『経済と友愛 ~ある猟師の物語~』

 時計は回る。僕たちが眠りについている間も、ひとときも止まることなく、永遠にたどり着くことのない1秒後の未来を目指し、時を刻む。そして同時に、誰もその総量を掴みきれない「経済」という大きなエネルギーも、つかの間の休息も要求することなく地球を巡る。経済とは、なんだろうか。貨幣という概念(紙幣や硬貨は概念の表現手段に過ぎない)は、いつ、どのようにして生まれ、何を目指して増殖を続けるのだろうか。ここで精細な経済史を論じようとは思わない。しかし、経済が持っていた可能性、本来目指していたであろう未来について、ある猟師の物語を通じて推論してみたい。

 貨幣という概念の存在しなかった昔。猟師が山から降りてきた。右手には本日の収穫として、一匹の野うさぎを掴んでいる。今日の腹を満たすには上出来だ。でも、猟師は思う。たまには魚でも食べてみたいなあ。翌日、猟師は海へ向かい、魚を獲ろうと四苦八苦した。どうにも山のようにはいかないものだ。そこへ漁師(日本語だと同音語なので紛らわしいですが)が通りかかり、不器用な猟師を見て声をかけた。そんなに魚が欲しければ、お前んとこのうさぎをちょっぴり分けてくれよ。そしたらオレんとこの魚をやるさ。オレもたまには陸の肉も食いたいんだよな。取引は成立し、猟師は猟師の欲しいものを、猟師の収穫(技能)と交換することで得ることが出来た。

 家を建てることにした猟師は、となり村にいい大工がいると聞いて頼みに行った。猪2匹で家を建ててくれないか?ところが交渉は決裂した。大工はベジタリアンだったのだ。オレの欲しいのは脂ぎった猪じゃねえ。後味スッキリ、ほんのりとした苦味、ジューシィな繊維の束のセロリってえ野菜だ。どうにもあれがないと、生きた心地がしねえもんよ。世の中には色々な人がいると痛感した大工であったが、このまま引き下がるわけにはいかない。セロリという未知の野菜を育てている農民を訪ねることにした。え?セロリが欲しいって?でもあんたの猪、もう腐ってるじゃないか。その肉とは交換出来ないよ。確かに、手元の肉は既に傷みかけている。せめて燻製にでもしてくればよかったな。あんた、何もしらないんだねえ。今は物々交換は「米」を仲介してやるもんだよ。米なら腐らないし、みんなが必要なものだからね。それを聞いた猟師は、次からは収穫の余りを米へと交換し、それを貯めておくことにした。ある日、数日の狩りから家に戻ると、大事な米がネズミにかじられていた。またもや農民に相談に行く。あんた、何もしらないんだねえ。今は貝の時代だよ。といっても、どんな貝でもいいわけじゃない。遠く遠く、西の果てで採れた綺麗な貝殻があってね、それを「貨幣」にしようってみんなで言っていたところさ。農民の見せてくれた貝殻は、それはそれは美しい貝殻だった。この貝が、米にでも、肉にでも、魚にでも、家にでも変わる!オレの出来ること(猟)を貨幣にして、できないことと交換出来るなんて!

 貨幣制度とは「資源」と「貨幣」の交換制度のことだった(※「資源」とは、物質的なものに限らず、人間の活動に役立てることの出来る全て)。その制度は数々の専門家を生んだ。貨幣と交換可能な価値ある能力を持つ人間は、生きるために必要なものを自ら調達しなくていい。その時間を使って、自分の能力を磨き、社会に発揮できるのだ。「貨幣」の誕生、それは人間の可能性を爆発的に広げる起爆剤だった。生まれてから死ぬまで、魚一匹、うさぎ一匹しとめたことのない人間が、数学というものに頭脳を費やした。天文学というもの、哲学というもの、あらゆる学問、芸術が爆発的に広がっていった。人間は、個体に出来ないことを群体として(広範囲に)達成する能力を得た。これは、「誰か他の人間」のやったことは「自分が成し遂げたこと」だと思い、共有出来る認識の下で最大限の力を発揮する。「貨幣」とは、信じあう力、友愛の錬金術でもあったのだ。これによって、豊かな社会が実現し、お互いに助け合う、平和な日々が続いていた。経済が友愛(人間の命の尊厳を尊ぶ心、と言い換えても良い)と結びついている社会では、貨幣を調達できない(経済的生産力のない)人も、社会保障制度によって安心して暮らすことが出来た。これもまた、「資源を分け合うことが出来る」という、貨幣制度のもたらした恩恵であった。

 しかし人間は堕落する。ある集団と集団が対立し、生存をかけて争うとする。直接的な戦闘も多々起こることだろう。しかし、本質的に続くのは「資源の奪い合い」だ。その「資源」と交換可能である「貨幣」というものは、相手を攻撃する最大の「武器」ともなったのだ。絶対的な貨幣制度(物々交換や共有、譲渡が存在しない世界)の前では、「貨幣」というものは「人間の生命エネルギー」に匹敵する(完全なる自給自足、つまり貨幣制度の外で生きることのみがそれを避け得る)。それを奪うことは、すなわち相手の生命力を奪うことになる。また、直接それを奪うことをせずとも、「奪われない」ために頑なに自分の「貨幣」を守る人間、それは「資源の分かち合い」を放棄した人間だった。日々耳に入るのは、明日をも知れぬ不安を煽る情報ばかり。人はどんどん内に閉じこもり、世界は闇に包まれていった。

 さて、あの猟師はどうしただろうか。彼の武器は今、一体何を狙っているだろうか。平和も、混沌も生み出すことの出来る「貨幣」というものを、人間はどのように使用していくのだろう。宇宙のどこを探してみたところで、悪の原子も、正義の分子も見つからない。それは、人間の観念に過ぎないものだ。悪に満ちた世界、不安に満ちた世界とは、一体何が満ちているのだろう。願わくば、貨幣がその本来の価値を取り戻さんことを。

(佐藤慧)

03【特集】笠原正嗣『民主主義と効率主義』

 最近、「国民一丸となり」といった言葉をよく目にするようになりました。一見すれば「みんな一緒にがんばっていきます」ということでしょうけど、ちょっと意地悪に解釈してみれば全体主義に近い状態にしますとも取れます。言い方一つで印象がガラッと変わります。

 選択していくこと、意思決定していくことは大切です。決まったことに邁進することも大切だと思います。でも、一方で選ばれなかった選択肢はなかったも同然なのでしょうか? 無視してしまって良いのでしょうか? こうやって問うてみると「いやいやそれは違う」という声も聞こえてくると思います。でも、現実問題として今の政治的選択も含め多数決を取ったときの状態を見ると、どうも選ばなかった選択肢をないがしろにしているように感じます。

 当たり前ですが、決を取るときに選択肢がいくつか用意されているということは、その選択肢に支持者がいるということです。その支持者に人権がある以上、選ぶ側の人は、今回選ばなかった人たちに対しても気に留めておく義務があるように感じます。しかし、スピード決定のようにスピード礼賛の現状、精査もしなければ、結論ありきで最初から相手の話を聞く気もなく、こっちの方が良いから選ぶというようなことが起きているのではないでしょうか。企業ならば利益を出すのが主眼なのでそれもありだと思います。でも、政治における決定は少数が困っている人であることもあり、その意見を排除して終わりにするわけにはいかないはずです。逆に多数派が静かなだけで一部の少数派が主張を繰り返し、そちらに話しが流れていくこともあります。

 結局、政策までビジネス感覚や効率で考えてしまうことはとても危険なのではないかと思います。非効率でも削っては行けないものは多々あるわけで、TPPやそれに伴うであろう民営化という問題を見ていると、今のところ数字を比べてどっちが得かというビジネス感覚の話が多く、では切り捨てられた側、ダメージを受ける側が今後どうなるのかという話を深く掘り下げたものはあまり見たことがありません。

 多数派が正しい保証は全くないわけですし、声が大きい人が正しいわけでもありません。分かりきっていることのようでも、そういう所へのブレーキがきいているとは言いがたい話しが散見されています。メディア戦略で、ある程度誘導することも可能です。多数派が勝者で、少数派が敗者というわけではありません。政治は競争原理とは別の問題も孕んでいると、再認識する時期に来ているのではないかと思います。

(笠原正嗣)

04【鼎談】松岡正剛×日玉浩史×矢萩邦彦『震災と日本のフラジリティ14』

震災と日本のフラジリティ13

松岡正剛(以下、松岡まぁ僕もね、むかぁしむかしに行っただけで確認しないといけないんだけど、岩手県に原体ってのがあって、剣舞連(けんばいれん)というのがあって、宮沢賢治が『原体剣舞連』っていうすごい詩にしているんですよ。。それはエミシの悪路王と呼ばれた伝説が当時いっぱい残っていてそれがみんないろんな神楽になっているんですね。要するにエミシの被虐の歴史を勇壮な踊りに切り替えて、それに賢治が涙して、描いている詩です。そういうものが結構いっぱいあると思うのね。ミヅクリ(箕づくり)、実際には脱穀のための、これは東北が一番なんですけど、そういうミオドリ(箕おどり)が結構残っていたんだけども、形だけ残っていて、ミヅクリ自体が少ないんです。だけど、ミをつくるというスクリーニングの編集で日本の精神にとって大きなメソッドで、ミを付けてミを持つということは神のもどきなので、その姿が実際には東北にはたくさん残っているのを柳田は若干見過ごしているんですよ。赤坂憲雄は良く見ていて、カバーしていたけども。例えばそういうところを掘り起こしてあげることもいいし。

日玉浩史(以下、日玉その辺は僕が仙台や盛岡で突っついてみます。勅使河原さんとか昔やってらしたような…。

松岡やっていたかな、鈴木節子もやっていた気がする。今回彼女が行ったかわからないですが、花岡(六離)もね。で、もう戻るんだっけ?

日玉明日戻ります。帰ったら山ほどやることがあるので。

松岡お二人にはいろんな話をしましたが、僕自身もエライ物を抱えていますよ。もちろんね。やっぱりこれをどういう風にね、芽生えたモノや亀裂が入ったものを育んでいくかっていうのは結構長く続きそう。ただ、たくさんのことを、さっき多重って言ったけど、持ち出すしかないなと思っていて、僕の場合は、今までがこうだったから、逆に、いまは芭蕉や西行や能因法師じゃないけれど、一個のアンテナというか媒体にね、僕は元々多重だから、変な。どういう風にあの中でそのいろんなものを受け止めていったり、それをバリュアブルコンデンサにして、どういう周波数に出すか、自分がやってみないと分からないんだよね。うん。あんまり時間がないので今度の連休でちょっとだけやって、そのあともどうしようかなと思っているんだけどね。ただ、おそらくたくさんの人と知事達とかが来たらぜひぜひとはいわれているんだけど、それは別として、やめて、いったん場所を採用体験をしておかないとと思っているんだけどね。だからまぁ編集ということは言ったしやってきたけども、編集されていく高速な受信体というのが、今まですごく足りないと思っていたわけ。僕が編集されていくことですよ、世界によって。

日玉僕今回感じたなぁ、編集されていく感。

松岡静かに行くのもひとつじゃないの? 夜になればそうなるかもしれないけど。

日玉場所ごとにいろんな状況が全然違うんで、違う場所にいっただけかもしれないけど、そこにある枠みたいなものに嵌められるっていうか。

松岡うん。

矢萩邦彦(以下、矢萩行くところ行くところで、こっちが変わっていかないと。

日玉その辺は離で鍛えられたから、大丈夫かな。

(続く)

【松岡 正剛(まつおか せいごう)】1944年、京都市生まれ。早稲田大学仏文科出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を経て、現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。1971年に伝説の雑誌『遊』を創刊。日本文化、経済文化、デザイン、文字文化、生命科学など多方面の研究成果を情報文化技術に応用する「編集工学」を確立。日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱し、私塾「連塾」を中心に独自の日本論を展開。一方、2000年にはウェブ上でイシス編集学校と壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」をスタート。2006年に第1144夜までをまとめて『松岡正剛千夜千冊』(全7巻+特別巻)を刊行、以降もウェブ上で執筆継続中。
著書に、『日本数奇』『山水思想』『知の編集工学』『知の編集術』『遊学』『花鳥風月の科学』『フラジャイル』『日本流』『日本という方法』『17歳のための世界と日本の見方』『世界と日本のまちがい』『白川静』『ルナティックス』『多読術』『連塾・方法日本』ほか多数。

【日玉 浩史(ひだま こうし)】振付家・ダンサー。1968年生まれ。日本大学芸術学部卒業。1986年チャイコフスキー記念東京バレエ団入団。六年間所属した後、イギリス・ロンドンのラバン・センターに留学。1993年「カンパニー・ミッシェル=アンヌ・ドゥ・メイ」(ブリュッセル)に参加。1994年「カンパニー・ローザス」(ブリュッセル)で活動。1997年よりフリーランスとなり、ダムタイプ「OR」共同振付、「ローザス」、「カンパニー・ピエール・ドゥルーズ」、ロッテルダム劇場プログラム「Los Invitados」などに参加し、現在もニードカンパニーやAMGODなどでヨーロッパで活動を続けている。1998年、神奈川芸術文化財団「dance today」において「L.S.D.S./サルの監視」発表を機に、日本でのワークショップや振付などの活動を本格的に開始。1999年、「Violence of gravity」(ランドマークホール・神奈川)や、2000年、「The Body On The Liquefaction―沈み行く身体についての考察」(スパイラルホール・東京)、2001年、「What do you want?」(スフィアメックス・東京)など。在ベルギー。

【後記】『抗う理性』

 社会の中には、カオスをコスモスにしようという力が働いています。それは人間に理性があるからと言うよりも、自然の中にすでに存在する何かです。その中に生じた人間は、何かを神と名付けたり、その神を利用したり、対抗したりしながら社会の体を保とうとしています。マネー経済も方法の1つですね。エントロピーの力に抗いながら、動的平衡を保とうとする僕らの論理は、どこまで進んでも所詮僕らの認識の中、僕らの宇宙だけの論理なのかも知れません。それでも、生きていくことの可能性を感じられるように、日々考えていきたいと思います。では、また次回お目にかかります。

(矢萩邦彦)

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【告知】安田菜津紀 10月5日~ギャラリートーク『それでも海で-陸前高田 潮騒と共に』

10月開催予定の写真展にて、10月5日(土)、ゲストに天洋丸の漁師さん、村上郁男さん、司会で渡辺真理さんにお越し頂き、ギャラリートークを行うことになりました。よろしければぜひお越し下さい。


開館時間:午前10:00~午後6:00(最終日 午後3:00まで) 入場無料
休館:日曜・祝日

☆ギャラリートーク:10月5日(土)14:00~
 ゲスト 村上郁男氏(陸前高田市小友町漁師)
 司会  渡辺真理氏

【東京】
開催日: 2013年10月3日(木)~10月16日(水)<日曜・祝日休館>
時 間: 10:00-18:00 (最終日は15:00)
入場料: 無料 (セミナーのみ有料)
会 場: オリンパスギャラリー東京

【申込FBページ】⇒10月5日~ギャラリートーク『それでも海で-陸前高田 潮騒と共に』

【大坂】
開催日: 2013年10月24日(木)~11月6日(水)<日曜・祝日休館>
時 間: 10:00-18:00 (最終日は15:00)
入場料: 無料 (セミナーのみ有料)
会 場: オリンパスギャラリー大坂


【告知】安田菜津紀 JVC国際協力カレンダー2014『心のお陽さま』

安田菜津紀が、JVC(日本国際ボランティアセンター)の皆様と、世界の子どもたちのカレンダーを制作致しました!壁掛け、卓上、そしてポストカードなども同時に発売です!
収益金はアジア・アフリカ・中東、そして東日本大震災の被災地での活動にも役立てられます。

詳細:JVC国際協力カレンダー2014『心のお陽さま』

【告知】安田菜津紀 2014年1月16日 『夕学五十講』受付開始!!

慶應大学丸の内キャンパスで行われている『夕学五十講』の2013年度後期一コマ(2014年1月16日)を安田菜津紀が持たせていただけることになりました。

お申込受付が明後日8月29日(木)10時に開始です。ぜひ日程のあう方はお越し下さい!!

【告知】安田菜津紀『先生!』(池上彰編/岩波新書)にて寄稿!

「先生!」――〈この言葉から喚起されるエピソードを自由に書いてください〉。

池上彰さんのこの呼びかけに様々な分野で活躍している著名な方々が寄稿する新書が発売されました。その中に安田菜津紀も『“抗う”こと』と題し、寄稿させて頂いております。ぜひお手にとってご覧ください!

amazon

【再掲告知】安田菜津紀 オリンパスHPにてイメージ画像として掲載!

今度OLYMPUS様が新発売される『OLYMPUS PEN E-P5』にて、安田菜津紀の写真をサンプルとしてお使いいただいております。ご覧いただければ幸いです。

OLYMPUS PEN E-P5(カメラ/タブレット上の写真)
代表取締役社長からのメッセージ(5:55あたり)
サンプル写真1

【再掲告知】安田菜津紀 Canon 6D スペシャルサイト、「フルサイズ・ふるさと」にて、『「結」岩手県陸前高田市』として、写真ストーリーを掲載!!

Canon 6D スペシャルサイト、自らの原点を訪ねた、フォトグラファー達の軌跡「フルサイズ・ふるさと」にて、『「結」岩手県陸前高田市』として、写真ストーリーを掲載頂きました。

⇒ Canon 6D スペシャルサイト、自らの原点を訪ねた、フォトグラファー達の軌跡「フルサイズ・ふるさと」

雑誌掲載
月刊カメラマン
連載:写”心”の力「ウガンダからの風(上)」
EOS 6D 「New Product Review」

アサヒカメラ
Special Feature Photography「それでも海で」

その他、カメラ雑誌
EOS 6D で撮影した陸前高田の写真を掲載頂いている雑誌があります。お見かけの際はぜひご覧頂ければ幸いです。

【告知】安田菜津紀/佐藤慧/ 渋谷敦志 写真展「舫 ファインダー越しの3.11」トーク

4月に行われご好評をいただきました写真展「舫 ファインダー越しの3.11」。 陸前高田から会場へ来て下さった佐藤一男さんとのトークがUstreamにて配信されております。佐藤一男さんの悔しさ、怒り、そして感謝に溢れた強い言葉の数々にぜひ触れて頂ければと思います。

トーク「今日と明日を繋ぐもの」

【告知】安藤理智「月刊カメラマン9月号」掲載!!

安藤理智がロンドンオリンピックでCanonとNikonの最新機種を使い比べた感想が掲載されております!
ぜひご覧くださいませ!!

月刊カメラマン

【再掲告知】安田菜津紀『ソトコト9月号』

『ソトコト』9月号内に掲載されていますソトボラ新聞の中にて、安田菜津紀が東北支援につながるKIプロジェクトの”チョコボ”、東北写真展を巡回させる「みちのくcaravan」立上げ人の島田悠司くんインタビューを担当しています。ぜひ御手に取ってご覧下さい。
ソトコトHP→ ソトコト

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【再掲告知】佐藤慧 
シンポジウム『未来を探検する知のバトンリレー 人類の未来』映像公開!

今年1月に開催された日本科学未来館の企画展「ウメサオタダオ展―未来を探検する知の道具―」関連イベントシンポジウム「未来を探検する知のバトンリレー 第1回 人類の未来」の動画がアップされております。

シンポジウム「未来を探検する知のバトンリレー 人類の未来」
http://goo.gl/r8tQN

村上陽一郎さん(東洋英和女学院大学学長)、松沢哲郎さん(京都大学霊長類研究所所長)という素晴らしすぎる人々と共に佐藤慧(フィールドエディター/ジャーナリスト)の名前を連なせて頂きましたm(_ _)m 
今でも胸に残る、濃密な時間を過ごせたイベントとなりました。
ぜひ、ご覧ください!

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【再掲告知】安田菜津紀・佐藤慧 復興支援プロジェクト『道のカフェ』

『道のカフェ』

安田菜津紀・佐藤慧がお手伝いさせていただいている復興支援プロジェクト「道のカフェ」( http://www.michinocafe.com/p/project.html )。
プロジェクトに参加したスターバックスのスタッフさん達がフォトアルバムを、手作りで仕上げて下さいました。
全国各地のスタバ限定店舗に設置されています。
詳細はこちらです! ぜひご覧ください!!
http://www.michinocafe.com/2012/03/photo-album.html

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【再掲告知】 安田菜津紀 9月26日『J-WAVE TIME TABLE』

J-WAVEフリーペーパー『J-WAVE TIME TABLE』に、福島で坂本龍一さんを撮影させて頂いた安田菜津紀の写真が掲載されます。
都内近県のCDショップやiPhone/Androidアプリなどでご覧頂けます。
→ http://www.j-wave.co.jp/topics/1108_tt.htm

J-WAVE TIME TABLE

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【再掲告知】LIVEonWIRE_JOURNAL始動!

LIVEonWIRE_JOURNAL

 AFTERMODE GROOVEでもある、表現者ギルド=NGO LIVEonWIREが、こ