INDEX
vol.0029号(2011年03月25日号)
00【巻頭】『知ることで未来を照らす』
01【特集】佐藤慧『心震えるとき』
02【特集】県立高田病院からの光景
03【報告】笠原正嗣「原発状況:続報」
04【告知】ヤハギクニヒコ 4月10日(日)鏡明塾『暴力と平和学』
05【告知】安田菜津紀×PLAS写真展 5月17日(火)~5月31日(火)
06【後記】『全体と部分を同時に観ずること』
01【特集】佐藤慧
『心震えるとき』
その時僕は、ザンビアの首都、ルサカにいた。コンゴ民主共和国に取材に出ていた僕は、汚職にまみれたコンゴに疲れを感じ、隣国のザンビアでゆっくりと休んでいた。
「東北で地震が起きた!」同じ宿に泊まる日本人からその話を聞き、僕はいつもの三陸海岸を思い浮かべた。岩手県では地震は珍しいことではない。三陸沖から時たま、風物詩の如く東北を揺らす。そんな地震を想像していた。運良くインターネットの通じる宿にいた僕はニュースをチェック。そこで信じられない光景を目にした。町があったはずの場所には何も残っていなかった。むさぼるように各メディアの情報を探した。どこを覗いても、津波によって町ごと流され、命が破壊されていく様子が飛び込んできた。その映像は余りにも想像をかけ離れていて、まるで映画のワンシーンのようだった。両親の住んでいる町はどうなったのだろう。その町、岩手県陸前高田市の情報はどこを探しても出てこなかった。確実に被災しているはずなのに全く情報が出てこない。その事実は、その地の被害の凄まじさを物語っていた。頭の一方ではそのように冷静に考えながらも、そんなはずはない、きっと大した被害が無かったんだ、そう思い込もうとしている自分がいた。
一日中PCに向かい情報を探す。時間が経つに連れ、陸前高田の情報も徐々に入ってきた。相当な被害、瓦礫の山、行方不明者多数、心を締め付けるような言葉が目に飛び込んでくる。全く状況がわからなかった。受け入れたくなかった。僕の父はその地の県立病院で医者をしていた。母は手話通訳など、盲ろう者の方と関わることをライフワークとしていた。ともに、自分の助けられる人を後に残し逃げることの出来ない、責任のある仕事をしていた。ふたりの状況を考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。数時間後、「陸前高田市壊滅」の文字を見るに付け、僕の決意は固まった。日本に戻ろう。僕にはそこでやるべきことがある。収まらない余震、原発の危機、日本は揺れていた。すぐに航空券を手配し、4つの飛行機を乗り継ぎ、ザンビア出国から23時間後には日本の大地を踏みしめていた。
その時すでに、日本では僕の大切な人たちが動き出していた。未曾有の大災害。被災者を想い、自身の心を痛め、その復興支援に力を注ごうと「任意NPOみんつな」が結成された。「みんつな」とは、みんながつながるという意味があり、また、津波(つなみ)という文字をひっくり返すという意味合いも込めて付けられた。東京に帰った僕はすぐにでも岩手に向かいたいところだったが、まずは仲間と共に団体の基礎をきちんと固めて置きたかった。信頼できる人々が集結、既に募金活動に動いている仲間もいた。震災後2日にして、既に数百人の人々が「みんつな」と共に動き出していた。実は帰国後3日間、極度の精神的緊張が続き眠れないでいた。応援してくれる人たち、そばにいる仲間、彼らのおかげで何とか僕は取り乱さずにいることが出来た。精根尽きて眠りに落ちた時、みんつなは確実にその第一歩を踏み出していた。
次の日、12時間という長い眠りから僕を現実に連れ戻したのは、被災地にいる父からの電話だった。病院の最上階、4階まで避難しながらも首まで波に浸かり、屋上で長い長い夜を越した。救助後も数日被災地で医療活動に従事していたが、その後体調が悪化し、現在は安全な病院に搬送されている。神が彼を生かしたのなら、まずはゆっくりと休んでほしい。そして医者として、ひとりの人間として、この未曾有の災害に襲われた人々のための力となって欲しい。僕はそんな父の助けとなり、多くの被災者の力になれるように「みんつな」の仲間たちと前に進んでいこうと思う。復興支援、言葉で言うのは簡単だが、それはとても長く、大変な道のりになるだろう。素人が感情で突っ走るだけの団体になってはいけない。僕たちは、大手NGOの支援の手が届かないような部分に、草の根的な活動で支援をしていこうと考えている。そのためにも、僕はジャーナリストとして被災者の、故郷の人たちの視点に立った情報を、その声を取材してこようと思う。みんな何かをしたかった。この災害を前に、人間の優しさを、強さを、可能性を信じたかった。みんなで前に進んでいこう。
(写真+文=佐藤慧)
02【特集】『県立高田病院からの光景』
絶望的な程に大きな津波が、轟音と共に陸前高田市を呑み込む。
そこで暮らす多くの素朴な命は、一瞬にして非日常の世界に連れ去られた。
医師である僕の父は、県立高田病院の4階に位置する病室から、
自身が波に呑まれる最後の瞬間まで、そのシャッターを切り続けた。
彼は津波に呑まれながらも患者の心肺蘇生を続け、
その後屋上に避難し一命を取り留めた。
「恐怖はなかった、ただ、もう終わりだと淡々と受け入れた」
荒れ狂う自然の力は、万の骸を海底へと引きずり込み、
消えることのない深い傷を人々の心に刻み込んだ。
命とはいつか尽きるものであり、
人はその最後の瞬間を選ぶことは出来ない。
余りにも当然の宇宙の摂理が、残された者には冷たすぎた。
(写真:佐藤敏通+文:佐藤慧)
03【特集】笠原正嗣
『原発状況:続報』
いやはや、先週書かせていただいた文章を見ると、自分の焦りが見て取れますね。先週のニュースを総合して考えると、最悪のケースを考えて行動すべきと思い書いたのですが、一週間後にこれだけ収まってしまうと恥ずかしい気もします。
原発についてもあれから色々調べてみたのですが、基本的に一番危ない時期は過ぎています。燃料棒の熱も対数グラフのように、一気に温度が下がり、その後低温状態が何年も続くので、まず安心だと思います。
プルトニウムについて不安を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、プルトニウムは水を1としたとき、20倍くらい重たい金属です。金よりも重い。ですから、空気中に散布されるということは、ほぼありません。空気中を浮遊する放射性物質に関しても、20㎞~30㎞の中に入らなければ大丈夫と思われます。
水の汚染がニュースになっていましたが、あれも1年間飲み続けた場合の数値だそうですから、今回のように一時的な数値である場合、問題ありません。もちろん、飲まないことに越したことはありませんが、放射性物質は体から最終的に汗や尿などと一緒に排出されますので飲んでも微量なら大丈夫です。
今回の件で、日本中がなぜこれだけの混乱に陥ったのかといえば、日本人が原発についてあまりに無知だということだったのだと思います。その割に、現在原発がクリーンエネルギーだという前提で色々な事業が進んでいるのは問題にすべきことだと思います。
例えばスマートグリッドがそうです。電気自動車がなぜクリーンなのかと言えば、排気ガスを出さないからと答える方も多いことでしょう。でも、発電施設が火力発電所であったのなら車が自分のエンジンで燃やしていたガソリンを、火力発電所に委託しただけになってしまいます。つまり、燃えている場所が代わるだけ、燃えていることが僕たちの目で見えないだけであり、煙はモクモクと出ている事実は変わらないんですね。
ところが、電気自動車はクリーンだということになっています。なぜでしょうか。要するにCO2などの排気ガスが出ない発電方法が前提にあるからですね。その前提こそが原子力になります。
全く電気自動車と同じ理屈でクリーンで安全と考えられているものがあります。オール電化なお家。これです。これはツイッターによる情報なので真偽の程は微妙ですが、オール電化が普及した結果、必要となった電力増加分は原発2基分だったそうです。でも、事故が起きた瞬間に世界中がひっくり返ってしまうものに頼って本当にクリーンなのでしょうか? スマートなんでしょうか?
もちろん、原発そのものを否定しているわけでも、スマートグリッドを全否定しているわけでもありません。ただ僕たちはあまりに見た目の良さだけで判断しすぎで、中身を精査しなかったのではないか。今まで中身が大事とか言われて来ましたが、改めて今回それに気づかされた思いがします。
日本が事故を起こした瞬間、世界が焦りました。パニックに近かった。そして、誰も正確な情報を取捨選択できなかった。何の準備もなかった。ビジネス等々でよくスピードが大事と言いますが、スピードを出す為に犠牲となったものの一つに電力が挙げられます。
少し立ち止まって考えてみてはどうでしょうか? 息をゆっくり吸い込めることがどれだけありがたいのか。深呼吸して考えてみませんか?
(笠原正嗣)
05【編集後記】『全体と部分を同時に観ずること』
気が付くと眩暈に襲われ、気が付くと息が詰まっている。そんな体調に呑まれないように、僕の周りでも必死に闘っている人達が居ます。被災地ではない地方ですら、そういう影響が出始めています。そこから被災地のことを思うと、気が遠くなります。陸前高田は連日の吹雪とのことです。地球だって生きている。ガイア思想の中に見る風水的、道教的な太一のように、僕らはもっと部分と全体という感覚で物事を捉えた方が良いのではないかと観じます。決してバラバラに切り離して考えないこと。そこから未来への希望が紡ぎ出せるような気がしています。では、またお目にかかります。
(ヤハギクニヒコ)
04【告知】4月10日ヤハギクニヒコ
鏡明塾『暴力と平和学』
現在僕も「NPOみんつな」での活動と同時に色々と動いております。
場所と時間もイレギュラーになりますが、内容は予定通りを考えております。
どうぞ、よろしくお願いします。
◆鏡明塾2011 世界科コース第四回 04/10(日)◆
[一般コース]13:05~14:50(100分+休憩5分)
横浜市西地区センター 和室一号室
・テーマ『暴力と平和学』
(鏡明塾カフェ15:00~16:00)
[中高コース]16:05~17:50(100分+休憩5分)
横浜市西地区センター 和室一号室
・テーマ『日本史研究:考古学』他
★全ての講座とも先着20名とさせて戴きます。 (単発で受講されても大丈夫です)
・西地区センター(西区岡野 1-6-41)
「横浜駅南西口」より徒歩10分 (西公会堂と併設)
http://cgi.city.yokohama.jp/shimin/chikucenter/map.php?m=m¢er=c14200
参加費用は各コースとも一般・大学生2500円、中高小学生2000円(会費・教材費)です。(※中高生が一般コース、一般の方が中高生コースを受講することも出来ます)申し込みはメールにて承ります。タイトル【鏡明塾予約】日付・コース・名前(参加希望者全員分) で
yahagi.sa@gmail.com
までお願いします。ご要望、ご質問等もこちらまで。みなさんの御参加、お待ちしております!
05【告知】5月17日~31日 NGO・PLAS×安田菜津紀
写真展『ekilooto of Uganda』(エティロート オブ ウガンダ)~HIVと共に生まれる~開催
NGO・PLASとフォトジャーナリスト安田菜津紀のコラボレーション企画。
『ekilooto of Uganda』(エティロート オブ ウガンダ)~HIVと共に生まれる~
が世界銀行情報センター(PIC東京:http://go.worldbank.org/6IWNFK59C)にて行われます!
お時間が許しましたら、ぜひお越しください。
【再掲告知】
◇◆2011 studioAFTERMODE
卓上カレンダー発売中!!◆◇
今を大事に生きることと、
過去や未来を無視することは違います。
それは、長い歴史においても、ほんの最近のことでも変わりはありません。
関わりの中で、うねりながら流れていく僕らの、1つの物差しになればと願い、今年もカレンダーを作りました。
ご購入希望の方は、
タイトル「アフタモード商品購入希望」とした上、
・お名前
・ご住所
・電話番号
・部数
・返信用メールアドレス
を明記の上
store@aftermode.com
までメールをお願いします。
折り返し代金の合計と、お振り込み先をご連絡いたします。
安田菜津紀作品集「アンダンテ」も販売しておりますので、そちらもよろしくお願いします。
詳しくはアフタモードホームページ
http://www.aftermode.com/
↓
上部メニューバーの【STORE】をクリックしてください。
【再掲告知】
メールマガジン同時創刊!
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